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東京高等裁判所 昭和62年(ネ)3580号 判決 1989年9月12日

控訴人 アポロ株式会社(旧商号日本創設株式会社)

右代表者代表取締役 後藤秀生

控訴人 後藤秀生

右両名訴訟代理人弁護士 白谷大吉

被控訴人 広瀬謙二

右訴訟代理人弁護士 荒井誠一郎

被控訴人 三和信用金庫

右代表者代表理事 日野太郎

右訴訟代理人弁護士 上條文雄

被控訴人 品川信用組合

右代表者代表理事 小杉誠

右訴訟代理人弁護士 小野孝徳

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人らの負担とする。

理由

一  京神産業が昭和五七年七月二三日本件土地について一〇分の六の持分権を有したこと、京神産業は同年八月三〇日控訴人アポロに対し右持分権を譲渡したことを除いて、その余の請求原因事実は当事者間に争いがない。

二  京神産業が昭和五七年七月二三日本件土地について一〇分の六の持分権を有したか否かについて検討するに、≪証拠≫によれば、以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

1  日本創設株式会社と称する会社は、二つ存在するが、その一つは、京神産業の前身となるもので、昭和二五年一二月一八日設立され、本店を港区芝五丁目二一番二号に置く資本金一億円の会社であり、この会社は、昭和五七年四月二五日商号を京神産業株式会社と変更し、本店を渋谷区富ヶ谷一丁目四四番四号九〇二に移転し、右商号変更の登記を同年五月二六日、右本店移転の登記を同年六月七日了した(以下この会社を昭和五七年七月二三日までは「京神産業の前身の日本創設」といい、同月二四日からは「京神産業」という。)。右会社の代表取締役は、昭和四七年一月一三日の時点でも、昭和五七年四月二四日の時点でも控訴人後藤であつたが、昭和五七年四月二五日訴外日置克之、同広瀬信夫、同井上酉松が代表取締役に就任(右三者は共同代表取締役である。)し、控訴人後藤は取締役となり、右就任の登記は同年五月二六日了された。なお、その後右会社の代表取締役は、昭和五八年一二月一日訴外今井守が就任し、右就任の登記は同月二日了された。

2  もう一つの日本創設株式会社は、昭和二四年八月一二日設立され、本店を千代田区丸ノ内三丁目二三番地富士ビル六一八区に置く資本金一〇億円の会社で、この会社は、昭和五〇年九月二〇日本店を文京区白山四丁目二二番一六号に移転し、同年一〇月四日右移転の登記を了し、昭和五二年八月三〇日資本金を九億八〇〇〇万円に変更し、昭和五三年七月一七日右変更の登記を了し、昭和五七年一一月三〇日本店を前記京神産業の前身の日本創設が本店を設置したところである港区芝五丁目二一番二号に移転し、同年一二月二二日右移転の登記を了し、昭和五八年一月二一日商号をアポロ株式会社と変更し、同月二四日右変更の登記を了した。右会社の代表取締役は、控訴人後藤であつた。この会社が控訴人アポロであるが、なお、控訴人アポロは、本訴提起後の昭和五八年八月三一日本店を港区虎ノ門五丁目一一番六号に移転し、同年九月一日右本店移転の登記を了した。

3  控訴人アポロは、平成元年二月二日京神産業を吸収合併した。

4  京神産業の前身の日本創設は、昭和四七年一月一三日訴外金原君子から本件土地を含む土地につき、裁判上の和解により一〇分の六の持分権を取得し、控訴人後藤が同じく一〇分の三の持分権を、訴外田中寛が同じく一〇分の一の持分権を取得し、同月一三日所有権移転登記を了し、控訴人後藤は同月一八日田中寛から一〇分の一の持分権を買受け、同月一九日右持分の移転登記を了した。

以上認定の事実によれば、昭和五七年七月二三日当時本件土地について一〇分の六の持分権を有していたのは、京神産業の前身の日本創設であることが認められる。

そうすると右持分が控訴人アポロの所有であるとする主張は真実に反し、錯誤によるものと認められるので、控訴人アポロの主張変更は、許されるべきものであり、また右主張変更は時機に遅れたものとは認められない。

三  ≪証拠≫によれば、京神産業と控訴人アポロとの間に昭和五七年八月三〇日本件土地を含む一〇筆の土地の一〇分の六の持分権につき代金を二二億二三〇七万七三三七円として売買契約が締結されたことが認められる。

四1  そこで、京神産業の前身の日本創設、控訴人後藤からケンコーへの持分権の移転について検討する。

≪証拠≫によれば、以下の事実を認めることができ、原審及び当審(第一回)における右代表者兼本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  京神産業の前身の日本創設及び控訴人後藤は、本件土地を含む土地の造成工事のため訴外大成温調商事株式会社(以下「大成温調」という。)から八〇〇〇万円を借受け、その担保として本件土地を含む一〇筆の土地を大成温調に対し昭和四八年一月一〇日買戻特約付(買戻代金は一億五〇〇〇万円)で売渡し、同月一七日所有権移転登記、買戻特約登記を了していたが、これをめぐつて紛争が生じ、大成温調より訴えの提起があり、昭和五六年一〇月一九日大成温調との間に訴訟上の和解が成立した。その要旨は、大成温調は、京神産業の前身の日本創設、控訴人後藤、訴外株式会社多摩川テニスクラブ(代表取締役は今井守)から八〇〇〇万円の支払を受けるのと引換えに本件土地を含む一〇筆の土地の所有権移転登記等の抹消登記手続をする、京神産業の前身の日本創設、控訴人後藤らは大成温調に対し和解金として一億五〇〇〇万円の支払義務あることを認めるが、うち前述の八〇〇〇万円を昭和五七年六月末日までに支払つたときは大成温調は残余の七〇〇〇万円の支払義務を免除するというものであつた。

(二)  京神産業の前身の日本創設及び控訴人後藤は、本件土地を含む一〇筆の土地の隣地との境界について、隣地の所有者訴外岡三興業株式会社(以下「岡三興業」という。)との間にも紛争があり、訴訟中であつた。

(三)  京神産業の前身の日本創設代表者兼控訴人本人後藤は、昭和五七年初め頃ケンコー代表者片岡宏之(以下「片岡」という。)に対し、大成温調との和解内容を説明し、同年六月末日までに幾らかでも金員を支払わないと一億五〇〇〇万円という多額の金員を支払わなければならなくなるとして、融資についての協力を求めた。片岡は、これを承諾し、土地の所有名義をケンコーに移転してくれるのであれば、ケンコーがこれを担保にして被控訴人品川信組、同三和信金等から融資を受けることができる旨述べたので、右代表者兼控訴人本人後藤と片岡は相談のうえ、岡三興業から仮処分を受けていない本件土地について、これを売買名目でケンコーに所有権移転し、ケンコーはこれにより右金融機関等から融資を受けることにした。そこで片岡は、まず被控訴人品川信組に融資の申入をして了承を得、右代表者兼控訴人本人後藤は大成温調に右の方法で和解金の一部を作ることの了承を得、これらの手続のため昭和五七年七月二三日当事者が集まることになつた。

(四)  控訴人後藤、片岡、大成温調の河村和平、被控訴人品川信組の石川明敏は、登記手続及び融資の実行、和解金の支払のため、昭和五七年七月二三日市川栄作司法書士事務所に集り、本件土地について大成温調を権利者とする所有権移転登記の抹消、京神産業の前身の日本創設及び控訴人後藤からケンコーへの売買を原因とする所有権移転登記、被控訴人品川信組の根抵当権設定登記の各登記手続に必要な書類が作成された。被控訴人品川信組からケンコーに対し融資金の一部として二〇〇〇万円が交付され、これをさらに控訴人後藤が受取つて大成温調に和解金の一部として交付した。

なお、被控訴人品川信組は、同日ケンコーとの間で、本件土地につき、債務者ケンコー、極度額五〇〇〇万円、債権の範囲信用金庫取引、手形債権、小切手債権とする根抵当権設定契約を締結した。

そして、被控訴人品川信組は、融資金の残金二〇〇〇万円についてはこれをケンコーの口座に入金して交付し、ケンコーは、これを自社の運転資金として使用した。

(五)  ところで、前示認定のとおり、京神産業の前身の日本創設は、同年四月二五日商号を京神産業株式会社と変更し、本店を渋谷区へ移転し、代表取締役も控訴人後藤が辞任して日置克之、広瀬信夫、井上酉松の三名が共同代表として就任していたのであつて、同年七月二三日にはこれらの登記もすべて了されていたのであるから、控訴人後藤は、前記契約当時、右日本創設の代表権を失つていたのに、控訴人後藤は右同日集合した者らに対しこのことを全く知らせず、自ら代表取締役として行動し、「日本創設株式会社 代表取締役後藤秀生」と記載のある名刺を所持し、右記載のある同年五月二五日付の会社の資格証明書、同月二〇日付の印鑑証明書を持参し、ケンコーへの所有権移転登記の委任状にもそのように記載し、大成温調に和解金の一部として支払つた二〇〇〇万円についての領収証の宛名も右のように記載されていたのに何らの異議も述べず受領した。

(六)  同日司法書士事務所に集合した者のうち、控訴人後藤以外の者は、すべて、ケンコー代表取締役の片岡も含めて控訴人後藤が京神産業の前身の日本創設の代表取締役であると信じていた。

(七)  被控訴人三和信金は、昭和五七年八月一一日ケンコーとの間で、本件土地につき、債務者ケンコー、極度額一五〇〇万円、債権の範囲信用金庫取引、手形債権、小切手債権とする根抵当権設定契約を締結した。

(八)  被控訴人広瀬は、本件土地につき、昭和五七年七月三〇日ケンコーとの間で、金銭消費貸借契約(債務者ケンコー、債権額五〇〇〇万円、利息年一五パーセント、損害金年三〇パーセント)を締結し、右債務の担保のため抵当権設定契約をし、さらに、昭和五八年三月七日売買予約をした。

(九)  被控訴人品川信組、同三和信金、同広瀬とも、京神産業の前身の日本創設及び控訴人広瀬からケンコーへの本件土地の売買を原因とする所有権移転及びその登記は、同人らが相通じてケンコーが融資をうけるために売買契約をした外形を作出した結果であることを知らなかつた。

(一〇)  なお、本件土地を含む一〇筆の土地について、大成温調との間の紛争は、京神産業及び控訴人後藤が昭和五八年一二月一〇日さらに六五五〇万円を支払つたことにより解決して、大成温調は本件土地以外の土地についても所有権移転登記の抹消に応じ、岡三興業との間の紛争も、同月一三日和解により解決した。

以上認定の事実からすると、京神産業の前身の日本創設からケンコーへの持分権移転について、控訴人後藤は右会社の代表取締役ではなかつたことが認められるけれども、控訴人後藤は、昭和五七年七月二三日当時右会社の取締役であり、自己が会社を代表する者として行動し、「日本創設株式会社 代表取締役後藤秀生」と記載のある名刺を所持し、右記載のある資格証明書、印鑑証明書を持参し、所有権移転登記の委任状にもその旨記載し、大成温調からその旨の宛名の記載のある領収証を異議なく受領したのであり、ケンコーも控訴人後藤に代表権があることを疑わなかつたことが認められ、さらに京神産業の前身の日本創設も京神産業もその後本訴に至るまで控訴人後藤のこれらの行為について何らかの異議を述べた形跡は本件全証拠によつても認められず、しかも前示認定のとおり控訴人後藤が代表者である控訴人アポロは後に京神産業を吸収合併しており、控訴人後藤の京神産業に対する支配力は強いと認められることからすると、京神産業の前身の日本創設は、控訴人後藤が代表権を失つた後も、代表取締役として行動し、前記契約をなすことを承認していたものと認められる。そうすると、京神産業の前身の日本創設は商法二六二条により控訴人後藤が代表取締役としてケンコーとの間になした契約についてその責に任じなければならないというべきである。

そして、京神産業の前身の日本創設及び控訴人後藤の本件土地についての持分権は、ケンコーとの間の通謀虚偽表示により昭和五七年七月二三日売買を原因としてケンコーに所有権移転がなされたものということができ、その後ケンコーとの間に取引関係に入つた被控訴人品川信組、同三和信金、同広瀬は各根抵当設定契約、抵当権設定契約、売買予約締結の際右持分権の移転が虚偽表示によるものであることを知らなかつたものと認めることができる。

なお、控訴人らは、本件土地の特定がなされていない旨主張するけれども、京神産業の前身の日本創設及び控訴人後藤とケンコーとの間においても、ケンコーと被控訴人品川信組、同三和信金、同広瀬との間においても各契約締結の際本件土地は登記簿上一筆の土地として特定されており、これらの契約が右事由により不成立であるということはできない。

以上により、京神産業及び控訴人後藤は、ケンコーとの間に根抵当権設定契約、抵当権設定契約、売買予約をした被控訴人らに対し、ケンコーへの所有権移転登記の無効であることを主張することができず、右登記の抹消登記手続をなすことの承諾を求めることはできない。

したがつて、控訴人アポロもこれを訴求することはできない。

四  以上の次第で、控訴人らの本訴各請求は、いずれもこれを失当として棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であつて、本件各控訴は理由がないから、これを棄却する

(裁判長裁判官 野崎幸雄 裁判官 篠田省二 関野杜滋子)

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